【読んだ本】『ギリシア・ローマ名言集』柳沼重剛・編 岩波文庫 / 普遍的な古代ギリシャ・ローマの偉人の名言

<魅力的な古代ギリシャ>

古代ギリシャにはまっています。とっても心惹かれるものがある。古代ギリシャ関連の本をいろいろ読んでいてとても面白いです。

今読んでいるのは『ギリシア・ローマ名言集』
この本には古代ギリシャ・ローマの様々なことわざ、名言がちりばめられています。

古代ギリシャといえば、美しい彫刻、陶器、絵画、建築などで知られています。
古代ギリシャ人によって生み出された偉大な創作物は、永遠の古典として、現代においてもなお巨大な存在感を放っています。

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その古代ギリシャの美術哲学は、西欧ヨーロッパ美術の源流であるだけでなく、ギリシャ美術を崇拝していたローマ人たちによって、ローマ帝国の支配の拡大という形で、中央アジアにまで広がる幅広い範囲に影響力を与えていきました。

またローマ帝国の支配より少しさかのぼった紀元前330年頃、アレクサンドロス大王が実施した東方アケメネス朝ペルシャへの侵略も古代ギリシャ美術の東漸に果たした影響はとても大きいと言われています。この侵略を契機として、古代ギリシャ美術は西アジア、中央アジア、インドへと伝播していくのです。

古代ギリシャが完全にローマに征服されたのが紀元前30年。

これらの出来事ははるか2000年以上も前。

<時間の流れと人間の変化>

考えてみれば当然ですが、二千年前とはいえ、根本的な人間というのは変わらない。

時間のスケール感にやられて、二千年前というとはるか太古の出来事で、今とは全く違う人々が暮らしていたんだと、なんだか私はつい錯覚してしまいますが、人々は我々と同じように喜び、悲しみ、考え、暮らしていたはずですよね。

少なくとも生物学的にはもっともっと昔の、2、3万年前の人類はすでに今の人類と同じ脳みそを持っていたと言われているそうです。

もちろんテクノロジー、またそれがもたらすライフスタイルの変化、そしてその変化によって人間の感性や思考も変わるはずで、それは確かに二千年前とは違う。

でも根本的な、人間というものは変わらない。

そんなことを、今読んでいる『ギリシア・ローマ名言集』を眺めながら再確認しました。

古代ギリシャ・ローマの哲人、賢人たちの言葉は、全くもってなんの違和感もなく現代に通用します。

こういうことを再確認すると、進歩や進化、今と昔、というものについて抱きがちな印象について慎重になる必要があるな、といつも思います。

<音楽の進歩について>

少し話は横にそれますが『西洋音楽史』(パウル・ベッカー著/河出文庫)という本では、音楽の進歩、というものについて印象的に述べられていました。要約するとこんな感じだったと思います。

「我々はつい勘違いしがちだが、進歩という言葉から、昔の音楽が今より劣っていたとつい思ってしまう。しかしそんなことはなくその時代に応じた最高の音楽がその時代に合わせてつねにつくられ、演奏されてきたのだ。現代からの一方的な視点で、優劣を決めるというような姿勢でいると、当時の音楽を考察するうえで見誤ってしまう。」(ちょっと今手元にないので主観的な要約です)

同著では、中世から現代まで、西洋で発展・変化してきた様々な音楽が歴史を通じて論じられています。

私は特に中世の多声音楽について知りたかったので、同著を手に取りました。
中世の多声音楽が、古いというだけで、今より劣っているということは決してありません。
今の音楽と同じように、むしろ曲によってはそれ以上にとても感動的に響く。
私にとっては、むしろ人生を通じて、もっとも心を打たれた楽曲の一つは、まさにその中世の音楽なのです。

そのメロディーと響きには、いつ何度聴いても、心を揺さぶられます。

(ちなみにその曲はギョーム・デュファイの『Helas mon dueil, a ce cop sui je mort』という曲です。以下YouTubeで。)

当時の中世の西洋音楽では、今ではものすごく当たり前の、コード=和声という概念がまだなかった。
当時の作曲家は、コードによらず、一つ一つの独立したメロディを、どうやって美しく組み合わせるかに多大な注意を払い、腐心したのです。

今とは異なる考え方で音楽はつくられていました。

そうした、中世に大変盛んだった多声音楽の作曲技法は、今ではほとんど主流ではありません。

少し後のバロック時代になって、多声音楽の集大成としての対位法がバッハによって完成され、さらにヴェートーベンの古典時代を経て現代にまで通ずる和声法が確立されていく。

と、こう書くと、途端に何だかやっぱりどうしても、より前代に位置する音楽技法が古くて劣ったもののようについつい感じてしまうのですが、やっぱりここで注意しないといけないのです。

『技法の進歩、発展』『音楽そのものの価値』は全く別物、だということに。

<古代の名著や偉人を知るきっかけに>

古代のことわざもそうだし、美術なども全くそれと同じ。

技術進歩の発展における新旧と、事物そのものの普遍的な価値は無関係。

考えてみれば、バカバカしいくらい当たり前のことだけど、現代の視点から、歴史を通して俯瞰的に眺めていくと、ついつい陥ってしまうような気がする。(いや、そんなの私だけかな?私だけだったらすみません。気をつけます。)

というわけで、『ギリシア・ローマ名言集』(柳沼重剛・編 岩波文庫)で紹介されている、はるか2000年前の名言の数々はいまなお、いや、むしろ現代においてより輝きを放つものだと言えると思います。

2000年の時の風化の圧力に耐えて、現代まで受け継がれた言葉の数々です。
普遍性そのもののような響きと味わい。

自分自身はなんとなく古代ギリシャ・ローマ時代の面白そうな著作を知るきっかけになれば、と思って気軽に読んでみただけなんですが、、、思った以上に面白い言葉がたくさん載っていました。
例えば、

『なんでも覚えているやつと飲むのはごめん』

作者不明叙情詩断片1002

絵は言葉を使わぬ詩、詩はことばで描く絵である。』

プルタルコス「アテナイ人の名声について」346f

『すぐに古びてしまうものは何かと問われて「感謝だ」と彼(アリストテレス)は答えた。』

ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」
第5巻 1.18 

『ソクラテスは、みんなは食わんがために生きているが、私は生きんがために食うという点で違っているのだとよく言っていた。』

アテナイオス「食卓の賢人たち」
第4巻 158f

『賢人は敵から多くのことを学ぶ』

アリストパネス「鳥」375

『人間の運命は車輪のようなもので、くるくると廻りつつ、同じものがいつまでも幸運であることを許さぬものです』

ヘロドトス「歴史」 第1巻207

『習慣も快いものである。なぜなら習慣としてもについているものは事実上持って生まれついたのと同じようなものになっているから』 

アリストテレス「弁論術」第1巻11

『保証人とならば破滅は近きにあり』

前7世紀 不詳

『人の数だけ意見あり』quit homines sententiae.

テレンティウス「ボルミオ」454(第二幕 4.14)

『恩恵を施したものは黙っているが良い、恩恵を受けたものは語るが良い。』

セネカ「恩恵について」第二巻11.2

『努めて簡潔さを求めると、曖昧になる。』
『洗練を狙うと、力強さと気迫が失われる』
『荘重さを表に掲げると、誇張に陥る』

ホラティウス「詩論」

『生きている限り私は希望をいだく』
dum spiro spero.

不明

などなど。。。。

ハッとさせられますね。とてもたくさんの名言が満載です。

はるか二千年前から、人々は、、、

  • 酒を酌み交わし、
  • 喜び、
  • 嘆き悲しみ、
  • 借金に苦しみ(紀元前7世紀の言葉ですよ笑)…etcということにも思いを馳せながら読むと、とっても味わい深いです。

<ギリシャ語、ラテン語に触れる>

ちなみに”『ギリシア・ローマ名言集』”というだけあって、前半は古代ギリシアの名言、後半は古代ローマの名言と前半後半で区別されて掲載されています。

ここでありがたいのは、日本語の名言に添えて、古代ギリシャの名言にはギリシャ語の、古代ローマの名言にはラテン語でそれぞれの原文が書いてあることです。

なかなか普段目にすることのない、ギリシャ語やラテン語の文は眺めていて面白いです。

ラテン語なんて読めたら相当に面白そう。とはいえ読むだけなら、まさに”ローマ字”読みで発音するのが基本ですからなんとなく口を動かすことはできる。

でも単語の意味は分からない。しかしラテン語でも気に入ったことわざを覚えておけば、ラテン語の理解の手助けにつながります。

私は中世の宗教音楽が好きなので、少しでもラテン語が分かると嬉しいのです。

ちょっと覚えて見たいな、とおもったラテン語の格言をご紹介。

『何物も無からは生じない』
  ex nihilo nihil fit.

ルクレティウス「事物の本性について」第1巻147

なんかいいですよね。

『何物も無からは生じない』
  ex nihilo nihil fit.

エクス、二ヒロ、ニヒル、フィト。

おお!楽しい。

『生きている限り私は希望をいだく』
dum spiro spero.

不明

ドゥム、スピーロウ、スペイロウ。

口にしてみるのも、いいですね!

名言が収められている偉人の一部を紹介

この本には、全く無名のことわざ、言葉の断片から、かの有名なカエサルの「賽は投げられた」もとい「賽を投げろ」という有名な言葉まで、まるッとたくさん収められています。

そんな偉人の一部を紹介してみたいと思います。

アリストテレス、ソクラテス、アルキメデス、クセノポン、ブルタルコス、ヘシオドス、エウリピデス、メナンドロス、ヘロドトス、ホメロス、プラトン、ルクレティウス、ディオゲネス・ラエルティオス(なぜかこの人だけ毎回フルネーム)、ウェルギリウス、クインティリアヌス、テレンティウス、ホラティウス、カトゥルス、ペルシウス、オウィディウス、キケロ、パイドロス、セネカ、プリニウス、…etc

ヘロドトスの『歴史』、ホラティウスの「詩論」、セネカ、ウェルギリウスというのはちょっと読んでみたいと思いました。
あとはこの本をきっかけに(いまいち区別がつかない)アリストテレス(アレクサンダー大王の教師でもあった)とかソクラテスとか、その時代の賢人たちの著作にも今後触れてみたいです。

そういったきっかけとしても、『ギリシア・ローマ名言集』(柳沼重剛・編 岩波文庫)はオススメの一冊と言えそうです。

ギリシア・ローマ名言集 (岩波文庫)
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西洋音楽史 (河出文庫)
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