桂ゆき ブロンズ像 前衛的なオブジェ シュルレアリスム 原始美術

桂ゆき ブロンズ像 前衛的なオブジェ シュルレアリスム 原始美術(bz-003)

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桂ゆき ブロンズ像 前衛的なオブジェ シュルレアリスム 原始美術

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桂ゆきについて

桂ゆき(1913年−1991年)は戦前から、戦後にかけて独自の表現を続けた女流作家です。
アヴァンギャルド洋画研究所を初め、二科会を中心に、九室会や三岸節子とともに女流画家協会を創立するなどその活動は幅広く多岐にわたります。なにものにも囚われぬ自由な表現は時代を超えて注目を集め、画家など作家からの評価も高いことで知られます。

戦前では藤田嗣治や岡本太郎と交流を持ち、また先鋭的な活動が現在世界的に再評価される「具体」の吉原治良などとも親交がありました。

桂ゆきの独自の発想、作品は国や時代、ジャンルなど規範を超えており、捉えがたい魅力的な存在として、現在まで大きな影響を及ぼし続けています。

一貫した先進性への希求 ー画家としてのスタートから戦後にかけてー

画家としてのスタートは意外にも、花鳥画を得意とした日本画家である池上秀畒に日本画を学んだことから。池上秀畒は当時の日本画壇を代表する大家でもあり、両親の進めで日本画を学ぶこととなりました。とはいえ本人の意思とは裏腹だったようで、2年ほどで洋画家中村研一の元で学び直すこととなります。

しかし画家としての基礎を学びながらも、気持ちは先進的な芸術を常に志していました。そんな桂ゆきの先鋭性と規範からの逸脱を象徴する初期の活動として、知られるのがコラージュによる作品群です。

戦前のヨーロッパにおいては、ピカソらキュビズムの作家によって「パピエ・コレ」という一種の貼り絵が芸術の技法として積極的に試みられていました。その後、シュールレアリスムの画家たちにも既存の組み合わせや表現から逸脱する技法として好まれてきたのがコラージュという技法です。

当時の日本では、コラージュはほとんど紹介されていませんでしたが、桂ゆきは日本において初めてコラージュ作品による個展を開いたのでした。

それからも活動はますます前衛さを増し、吉原治良、山口長男らと「九室会」を結成します。この九室会というのは、二科展において第九室に前衛的な作品が集められ展示されていたことから、名付けられ結成された研究団体で、当時もっとも前衛的な画家と活動がそこに集まっていました。そんな九室会の創立メンバーとして参加していたことからも桂ゆきの先進性が伺えます。

その後も二科会を中心に作品を発表し続け、その評価をますます高めていきました。終戦の翌年には三岸節子と女流画家協会を設立。

そして1956~61年ヨーロッパ、アフリカ、アメリカへ6年に渡る長い旅に出ます。中央アフリカで猛獣狩り、アメリカでビート族にしびれ、コーカサスでツイストを踊る…。

この際のアフリカでの経験や印象が、本ページで紹介しているブロンズ像のような原始的な造形美をもつ作品へと繋がっていくのです。(ちなみにこの時のアフリカ体験を綴った『女ひとり原始部落に入る』という作品では毎日出版文化賞を受賞しています→ http://amzn.to/2AaZmdv

本作品について

どうやらカッパのようです。制作年代等は不明ですが、桂ゆきの後年の作品に顕著に見られるユーモラスさと、アフリカの強烈な体験に根ざした、原始的な造形美が融合した一品となっています。大きさはとても手頃で飾りやすいと思います。

本体はブロンズ製。背面下部に「yuki」とサインが刻まれています。

土台は木製です。付属品等はございません。

サイズ:高さ約22cm 幅約6.8cm 奥行き約9cm

桂ゆき略歴

<受賞歴>
1966 東京都美術館 「第7回現代日本美術展」 最優秀賞、
1963 「女ひとり原始部落に入る」 毎日出版文化賞
1961 東京都美術館 「第6回に本国際美術展」 優秀賞、
1949 東京都美術館 「第3回アンデパンダン女流画家協会展覧会」 女流画家協会賞

<略歴>
1913 東京都文京区に生まれる。本名雪子戦前はユキ子、1970年頃からゆきと称する
1933 東郷青児や藤田嗣治が指導するアヴァンギャルド洋画研究所に通う。
1935 日本でコラージュによる初めての個展を近代画廊で開く。
1938 藤田嗣治の勧めで、日動画廊で個展。吉原治良等と九室会創立に参加。
1946 三岸節子等と女流画家協会の創立に加わる。
1947 日本アヴァンギャルド美術家クラブの結成に参加。
1950 二科会の会員に推挙され、1956年まで審査員を務める。
1956 渡仏、パリをベースに欧州を旅する。1958年春パリから中央アフリカに行きふた月余滞在後、ニューヨークへ。およそ3年近く滞在。
1961 帰国。第6回日本国際美術展に《異邦人》を出品、優秀賞を受賞。東京画廊で個展。カーネギー国際展に出品。二科会退会。
1962 アフリカ、アメリカでの体験をもとに『女ひとり原始部落に入る』を執筆。
1964 檀一雄等使節団の一行と旧ソビエト連邦を釣り旅行。その後も各地へ釣り旅行。
1966 第7回現代日本美術展に《ゴンべとカラス》等を出品、最優秀賞を受賞。
1970 朝井閑右衛門の勧めで1976年まで新樹会展に出品。
1974 エッセイを纏めた『狐の大旅行』『続・狐の大旅行』が刊行される。
1985 新作ばかりによる個展「紅絹のかたち」をINAXギャラリーで開く。
1991 心不全のため死去。生前より準備していた回顧展が下関市立美術館で開催される。

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