関根伸夫 初期ドローイング作品 1963年/ デッサン・素描/ もの派

関根伸夫 初期ドローイング作品 1963年/ デッサン・素描/ もの派(2d-001)

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関根伸夫 初期ドローイング作品 1963年

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1963年の制作、「N.Sekine」サイン
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裏側

sekine-nobuo-drawing-back-1 裏ふたを開けたところ。sekine-nobuo-drawing-back-2


わずかにシミあり
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関根伸夫について

関根伸夫作品の魅力

《位相-大地》1968年 大地、セメント 円柱: 220 x 270 (直径) cm, 穴: 220 x 270 (直径) cm Courtesy of the artist Photo by Osamu Murai

《位相-大地》1968年
大地、セメント
円柱: 220 x 270 (直径) cm, 穴: 220 x 270 (直径) cm
Courtesy of the artist
Photo by Osamu Murai

『もの派』の代表的な作家として知られる関根伸夫。
活動は1960年代から。

一度見たら忘れられない『位相ー大地』などの、「もの」の存在自体がもつ、人知を超えた力を、あまりにも大胆な方法で提示した、衝撃的な作品で知られています。

存在と非存在のあいだの揺らぎ、虚無と充実の不確かな関係性。

関根伸夫の作品では、位相幾何学、西洋哲学、東洋の思想を手がかりに、「存在」そのもの、またその根源的な神秘性が問われており、それらの作品は強力なブラックホールのように見るものを引きつけてやみません。

言葉にできない「もの」自身のエネルギーを目の当たりにした我々は有無を言わさず、その魅力に捉えられてしまいます。

その魅力がどこからくるのか、なかなか言葉にするのは簡単ではありませんが、とあるインタビューで関根伸夫自身が語っていた言葉は、その魅力を理解するひとつの手がかりとなりそうです。

もの派とアニミズム

インタビュー関根伸夫オーラル・ヒストリー2014年4月24日(URL: www.oralarthistory.org)で、関根伸夫は「もの派」及び自身の作品の根底に横たわるものとして「アニミズム」という要素について言及しています。

ものを見て、神聖さを感じたり、畏怖を覚えたり、壮大な風景を見て感動したり、というのは確かにアニミズムの要素と言えます。作品から受ける印象は、巨石や遺跡の持つエネルギーに圧倒される感覚にも確かに似ている気がします。

同インタビューでは『位相ー大地』がはじめに発表された当時のことも振り返っています。コンクリートで固められた、土の塊を目にした時の興奮は創造以上のものであったそうです。

そこには様々な感情が入り混じっていたと思われますが、ある種の畏怖のような感覚もあったのではないかと想像されます。

ちなみにこのアニミズムという考え方に対して、いわゆる「もの派」の作家の一人として、同じく世界的に著名な李禹煥はやや否定的な考えのようです。李禹煥にとって「もの派」の作品の概念は、過去や現在、また場所を超えたものとして定義されているようです。

捉え方の違いは興味深いですね。

李禹煥は理論派として英語での評論なども発表しています。関根伸夫は、そのことによりもの派に関する李禹煥の捉え方だけが広まることに対しては、少し疑問を抱いているようです。

いろんな視点、捉え方があってしかるべきであって、李禹煥の視点もあくまで一面に過ぎないということを我々は少し留意する必要があると言えそうです。

そのルーツと創造(つくる)ということについて

《位相-スポンジ》1968年 鉄板、スポンジ 130 x 120 x 120 cm Courtesy of the artist Photo by Eizaburō Hara

《位相-スポンジ》1968年
鉄板、スポンジ
130 x 120 x 120 cm
Courtesy of the artist
Photo by Eizaburō Hara

そもそもドストエフスキーの文学に惹かれ、またその文学世界に似た感情を、「アンフォルメル」の画家として知られるジャン・フォートリエの作品などに見出したことで、美術の道に進んだという関根伸夫ですが、学生時代は、東洋美術にも深く傾倒していたそうです。

寺社、仏閣を数多く巡り、そこで出会った寺院建築、仏像、信仰のあり方。それを生みだした、東洋思想の根底にあるアニミズムが、関根伸夫の作品にも反映されていると言えそうです。

関根伸夫自身は自らの「創造ーつくる」という行為に関して、近代の芸術において一般的な「自己を表現する」というあり方を否定するものだとも語っています。

《空相-油土》1969年 油土、サイズ可変 東京画廊での展示風景 (1969年4月18日 - 5月2日) Courtesy of the artist Photo by Nobuo Sekine

《空相-油土》1969年 油土、サイズ可変
東京画廊での展示風景 (1969年4月18日 – 5月2日)
Courtesy of the artist
Photo by Nobuo Sekine

また何を描くか、というそのテーマを持てない近代の苦しみを、関根伸夫は1983年の高松次郎との対談(「美術と環境美術」「風景から広場へ」1983.11商店建築社)で語っています。

1969年の「創らないということ」(数学セミナー)ではこう述べています。

大地に穴を掘り、そこから出た土を穴と同形に積み上げること。

あるいは円筒形のスポンヂの上に重い鉄板を載せること。

あるいは、変幻自在な油土を作為を止めて、ただ転がすこと。

中略

『まず我々は<創造つくる>ことをやめて<観る>ことから始めなければならない』

中略

<創造つくる>ことはできない。
できうることは「もの」の表面に付着するほこりを払い除けて、それとその含まれる世界を顕わにすることだ。

「美術と都市と絵空事 半自伝」株式会社PARCO出版局 p.40,42

大変な示唆に富んだ言葉に思えます。

ものをありのままに見つめる、ということは、想像よりもはるかに困難なことに思えます。
我々は自分の脳みそというフィルターを通してしかものごとを見ることはできません。

美術や物体だけでなく、社会、世の中の出来事などなど、ものごとをありのままに観る、というのは、これは果たして可能なのでしょうか。

関根伸夫作品の、興味深い匿名性や、空虚から存在へと移ろい、また無へと帰すようなそのあり方は、美術の世界にとどまらず時代を超えて、現代の我々の立っている、この時間、空間を捉え直す普遍性を持っていると、私はとても強く感じます。

関根伸夫《空相-水》 1969年 鉄、ラッカー、水 30 x 220 x 160cm, 120 x 120 x 120cm 第9回現代日本美術展(東京都美術館 1969年5月10日 - 30日)での展示風景 Courtesy of the artist

関根伸夫《空相-水》 1969年 鉄、ラッカー、水 30 x 220 x 160cm, 120 x 120 x 120cm 第9回現代日本美術展(東京都美術館 1969年5月10日 – 30日)での展示風景 Courtesy of the artist

世界での活躍と環境美術研究所

《空相》, 1969 / 1970年 大理石、ステンレス, 450 x 420 x 130 cm 第35回ヴェネチア・ビエンナーレ、日本館での展示風景 (1970年6月22日-10月20日) Courtesy of the artist Photo: Yoriko Kushigemachi.

《空相》, 1969 / 1970年
大理石、ステンレス, 450 x 420 x 130 cm
第35回ヴェネチア・ビエンナーレ、日本館での展示風景
(1970年6月22日-10月20日)
Courtesy of the artist
Photo: Yoriko Kushigemachi.

前述の1968年の「位相ー大地」でその名を一気に知られるようになると、活動は国内にとどまらず、海外へと広がっていきます。

1970年のヴェネチアビエンナーレでは日本代表の作家の一人として、『空相』という作品を制作発表。大きな大理石の塊を、クレーンでステンレスの支柱に乗せる、まさに完成の瞬間を観衆の前で披露。ビエンナーレのオープニングを華々しく飾り、センセーションを巻き起こします。

その後は数年かけてヨーロッパ各地を回ります。画商、個人のコレクターをはじめとする西洋の、文化としての美術の層の厚さを目の当たりにしつつ、その作品は評価はますます高いものになっていきます。

1973年には環境美術研究所を設立。

生活空間と関わるリアルなアートとして、都市空間など人々が暮らすその場所にさまざまなモニュメントやプロジェクトを残しています。


代表的な作品には、

  • 1972 埼玉県式市庁舎前モニュメント
  • 1975 栃木県立美術館屋外彫刻「空の柱」
  • 1978 酒田市中町モールモニュメント「ふれあいの門」
  • 1979 九州産業医科大学前庭モニュメント「歩みの石」
    東急ドエル藤沢ビレッジ広場彫刻「待ちぼうけの石」
  • 1980 箱根彫刻の森美術かん野外彫刻「空想」
  • 1982 日本大学生産工学部正面入り口モニュメント「風景の指輪」
  • 1983 大田区平和の森公園モニュメント、ファニチュア
  • 1984 新宿ヒルトンホテル ロビー彫刻
  • 1985 世田谷美術館壁泉彫刻
  • 1993 多磨霊園「みたま堂」
  • 東京都庁舎シティーホール前「水の神殿」「空の台座」

などが挙げられます。ここには掲載しきれないくらい、その他にも多くの作品、プロジェクトを手がけられています。

大変先鋭的な活動を一貫して続けおり、現在では埼玉とアメリカ、カリフォルニアの両方を拠点に活動をされているようです。

モニュメントという形で、実際に関根伸夫作品を見られる場所は各地に点在しているので、一度ゆっくり巡ってみたいですね。


関根伸夫にとっての”素描”

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さて、今回入荷したのは関根伸夫の素描作品です。

様々な立体作品を残していますが、実は関根伸夫にとって素描は大変重要な意味を持っています。

そして立体作品だけでなく実は平面作品も多く制作されています。
1960年代の活動の初期には、ポップアートや高松二郎らが活躍していた時代の流れもあってイリュージョンや錯視をテーマにした作品を多く制作していました。

その後、もの派から環境美術研究所へと立体的な作品が多くなっていく中では、モニュメントのプロジェクトなどに関する素描も多く残されています。

1984年には「関根伸夫の出来事」展と称する素描だけの展覧会を開いたことも知られています。当時の時点で、活動の初期から、2000点もの素描がたまっていたそうです。

関根伸夫にとって、素描というものはどういった位置付けなのでしょうか?
関根伸夫自身はこう述べています。

『素描は無意識の地帯を明らかにする作業だと思える。たとえば作るアイデアが枯渇すると書き溜めた素描からヒントが生まれてくる場合が多い。私の考えでは、作品というのは、観念でも物質の側でもなく、観念と物質を引き合わせる無意識的な中間地帯が存在する。この引き合わせる作業がちょうど素描に当たるようである。

作家にとって根源的な記憶が蘇るのは素描している時間の中にあるようである。他なる部分と内なる部分の引き結びが素描である。』

「美術と都市と絵空事 半自伝」株式会社PARCO出版局 p.89

頭の中のアイデアが、形になる以前の、混沌としたまま外の世界に出てくる。その一番初めの時点が素描であり、その整理される以前の、線が踊る豊かな混沌から、作家は創作のヒントをすら得ている、ということがわかります。

素描を見ること、それは実は作家の頭の中を覗くことに等しいのかもしれません。

素描作品の時代による変遷と分類

関根伸夫は、各時代での自らの素描の変遷を分類し、時代ごとにテーマを与えています。

<アンフォルメル>
1960〜1962 高校卒業から浪人時代

当時のジャン・フォートリエを初めとするアンフォルメル絵画に影響されて劇場と熱気をただひたすらメチャメチャに描いている。研究所で石膏デッサンをする傍ら家ではこういった素描を1日に何十枚となく描いては捨て、描いては捨てていた。

<エロス・シリーズ>
1962〜1963 多摩美大1、2年時

アンフォルメル的デッサンがいつの間にか丸や女体の部分を思わせる描線に変わる。内部の欲望が噴出し、肉体の条件と相伴って、極めてエロス的である。

<仏像シリーズ>
1964 多摩美大2、3年時

敦煌の石窟寺院やバーミアンの大仏の写真や、飛鳥や平安の古仏像に魅せられ、京都や奈良に長い期間滞在して、古美術に夢中だった時期。現代美術的傾向から離れて表現の主体となるべきつっかえ棒を探していた。

<好物シリーズ>
1965 多摩美大3、4年時

エロス、仏像が渾然一体となって、黒い湖水ともいうべき暗黒と、そこに落ち込んでいく形態どもの悲しげな表情が中心である。私の中では一番内的部分に沈殿した時期である。

<体相学、切り売りシリーズ>
1966 多摩美大4年 

美術家として知られる斎藤義重氏に会い、抽象画の基礎知識を教え込まれた時期である。これを完成させたら絶対だ、と思い込んで自身があった<好物シリーズ>を彼の理論に打ち負かされ、散々だった記憶がある。線を引けばこれはコレは具象的に書いている線か、抽象的に書いている線か、と問われ、線一本も引くことがためらわれた。作品ができなくて、エイとばかりに<切り売りだ>とつけたのがこの切り売りシリーズであった。

<消去シリーズ>
1967 大学院

現代美術にさらにひきもどり、当時高松二郎の<影>やポップアートなどに影響されつつ、平滑なベタ塗りで、現実の写真スライドを画面に投影しての作業であった。常に100号から500号くらいの大作をものにして、素描はその下書きであった。連続的に仲間と展覧会を打ち、ハプニングにも参加した。

<位相シリーズ>
1967〜1968

現代幾何の位相数学に盛んに興味を持って、空間を位相的に捉えようとした時期である。円筒形に蛍光塗料で吹き付けたりして、位相的イリュージョンを現出せしめようと腐心していた。次第に抽象的形態を扱うより現実の事物に転化させようとした最初の作品が、須磨離宮公園の「位相ー大地」である。この時期は素描的要素が仕事の割合に少なく、メモが主流である。位相に関する様々なメモがある。

<空想シリーズ>
1969〜

「もの派」と称されるように、現実の事物に直接関与する仕事が多い。東京画廊古典の「空相ー油土」、ベニス・ビエンナーレ展のステンレス柱と岩の「空相」など、素描はといえばプロジェクト称して作品を現実化する以前の構造絵画といった、紙上プランが中心である。

<環境美術>
1973〜

1973年に環境美術研究所を作ったあたりからのプロジェクト中心の素描。あるものは彫刻にしたり、あるものは版画、必要があるとモニュメントだったり広場の構想になったりする。小さな彫刻プランが大きな土や芝をつかう造園プランになったりするのは奇妙な感じである。

「美術と都市と絵空事 半自伝」株式会社PARCO出版局 p.87、88

今回入荷したものは「1963」とありますので、上記の分類に従えば、「エロス・シリーズの」時代の素描ということになります。

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<エロス・シリーズ>
1962〜1963 多摩美大1、2年時

アンフォルメル的デッサンがいつの間にか丸や女体の部分を思わせる描線に変わる。内部の欲望が噴出し、肉体の条件と相伴って、極めてエロス的である。


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よく眺めてみると、確かに体の部分を思わせるような描写が所々に浮かび上がってきます。エネルギーにあふれる、スピード感のある力強い筆致は魅力です。

「もの派」やその後の活躍に至る前の、関根伸夫の未完成で原初的な表現の一形態と言えます。興味深い作品です。

もしかしたら、1984年の「関根伸夫の出来事」展で展示されていたものの一枚だったのかもしれません。

作品自体は控えめですが、その後の関根伸夫の足取りに思いをはせながら、歴史的、資料的な観点から楽しめる一枚だと思います。

アンリ・ミショーと関根伸夫の素描

関根伸夫が自身に影響を与えた画家の一人として、ベルギーのアンリ・ミショーを挙げています。関根伸夫が美術の道を志すことになったきっかけとして、アンフォルメル絵画との出会いがあったことは先に述べました。

アンフォルメル(フランス語:Art informel、非定型の芸術)は、1940年代半ばから1950年代にかけてフランスを中心としたヨーロッパ各地に現れた、激しい抽象絵画を中心とした美術の動向をあらわした言葉である。同時期のアメリカ合衆国におけるアクション・ペインティングなど抽象表現主義の運動に相当する。

ウィキペディア「アンフォルメル」   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%AB

アンリミショーはそのアンフォルメルの先駆け、とも評される画家の一人です。ベルギーで生まれフランスで活躍。詩や絵画を発表しました。

その絵画作品は独特です。


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しみとも、ただのバツ印とも、あるいは生物のようにも見える、ひたすら無数に繰り返される線。

線が重なり合い、しみが時には人の形になったり、また線になりながら、独特の絵画空間を作っています。

関根伸夫は活動の全般を通じて大量の素描を描いていますが、高校時代にはアンフォルメルの画家に影響された大量のデッサンを描いていたそうです。フォートリエやミショーも含めたその周辺の画家たちの模倣。

関根伸夫の表現の基礎には、間違いなくこれらの画家たちの世界が影響を与えています。そして関根伸夫のデッサンを見ると、どこかアンリ・ミショーのこの独特の線、しみを思わずにはいられません。

関根自身がアンリ・ミショーについて、述べた短い論評があります。そこではこう述べられています。

アンリ・ミショーの芸術は形相に重きをおくのか、カオスに関心を示しているのかは定かではない中間地帯だ。私が想像するに、シュールレアリスム的に考えられる方向も、より抽象的記号と捉えられるのも、彼、アンリ・ミショーにとっては興味のない事柄ではないかということ。

何故ならば、彼の仕方から言えば、世界は混沌でも形相されたものでもないからで、より世界が明らかになる時は、混沌から形相へ移行するとき、あるいは形相が混沌へ移る瞬間なのだからである。

「美術と都市と絵空事 半自伝」株式会社PARCO出版局 p.87、88

アンリ・ミショーについての論評ですが、実は同時に関根伸夫にとっての、素描そして美術というものの捉え方の一面を表している文章のようです。

もう一度、関根伸夫の言葉を引用して見たいと思います。

<創造つくる>ことはできない。
できうることは「もの」の表面に付着するほこりを払い除けて、それとその含まれる世界を顕わにすることだ。

ほこりを払いのけて、混沌から形を見出し顕わにすること。無から有へ、「もの」のほこりを払い芸術に生まれ変わらせること。

まさにアンリ・ミショーの線が、ただのしみから人の形へ、そしてまた人へと移ろうそのプロセスをなぞっているかのようです。ものと芸術の間。都市空間の一部でありながらも、人々に福祉をもたらす洗練された美術としてのモニュメント。そしてその移行する瞬間に価値を見出す。関根伸夫自身も、自身の活動を通じて、混沌と形相、その間をなんとか捉えようとしているのかもしれません。

関根伸夫という美術家の根底にある、恐ろしく鋭い観察眼と、従来の考え方をひっくりかえそうという絶え間ない意欲。

それらはアンフォルメルの画家たちの背中を追い求め、大量に描かれたデッサンの混沌とした線がいのちを持って立ち現れようとする、その瞬間を捉えようと取り組み続けた姿に収斂されるのかもしれません。


<参考>

関根伸夫「美術と都市と絵空事 半自伝」株式会社PARCO出版局 1985年

関根伸夫「関根伸夫Nobuo Sekine 1968-78」ゆりあ・ぺむぺる発行 1978年

関根伸夫 初期ドローイング作品 1963年/ デッサン・素描/ もの派(2d-001)

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