最近仕事で鴨居玲の事を調べた。
以前はその名前と作品を見かける事はあっても別に気にかけることもなかったが、知れば知るほど好きになった。
<参考にした資料>
国会図書館で目を通したのは、
「鴨居玲画集1947-1984」(日動出版、1985)
「鴨居玲画集1928-1985」(日動出版部、2000)
「Rey camoy 鴨居玲展図録」(大阪21世紀協会、1991)
「鴨居玲素描集 酔って候」(神戸新聞 昭和64)。
画集として個人的に一番良かったのは「鴨居玲画集1928-1985」(日動出版部、2000)で、掲載作品数が充実していた。また解説がボリュームがあって、とても参考になった。
解説文ではあとは確か「Rey camoy 鴨居玲展図録」(大阪21世紀協会、1991)には司馬遼太郎の解説が掲載されていたのでそちらも参考にしました。司馬遼太郎ってあんまりよく知らないけど、鴨居は司馬遼太郎の小説で平安時代を舞台にした「妖怪」という作品に影響?を受けている。「憂きもひととき 嬉しきも 思い覚ませば夢候よ」という平安時代のはやり歌が小説に出て来る。またこちらの論文によると、「憂きもひととき 嬉しきも 思い覚ませば夢候よ」に続いて鴨居は「酔い候え 踊り候え」と加えているようだ。この平安の無常観を凝縮した詩は鴨居に深く共鳴するところがあったようで、生涯を通してお気に入りだったようだ。作品のタイトルもそこからとられたりしている。「夢候」「一期は夢よ」「踊り候え」などなど。
あと自分で欲しくて買ったのが、鴨居自身の執筆によるエッセイを集めた「踊り候え」(風来舎 1990)で、その人柄や考え、作品に対する思想の一端を垣間見ることができて、とても面白かった。古本サイトなどでは1万くらい?とか謎に高いものなどあってよく分からないけど、プレミアとか初版とか興味ないので、比較して一番安い3800円くらいで買った。楽天で。
<鴨居玲とはどんな人か>
鴨居自身は日本人離れしたルックスと長身(177cm )で、その作風からは想像出来ないような比較的明るい人柄だったよう。写真をみるともみあげのダンディさにびっくりする。なんかスペイン滞在時の写真などみると、もはやスペイン人にしか見えない…!ダンディです。
自身で語るところによると、思い込みが激しく、おっちょこちょいだったそうです。思い込みの激しさは芸術家の特質といわれますが、まさにと言った感じだろうか。評伝なんかには、明るい人柄だったと言うのが多い。とは言え精神的な浮き沈みは大きかったようです。
<生死の謎>
1928生まれ、1985没。生まれた場所は長崎と金沢と言うのがある。新しい資料では金沢になっている。エッセイでは長崎生まれは嘘だった、と書いている。よく分からない。
宮本三郎に師事。パリ、ブラジル、スペインなどを遊歴。1969年に「静止した刻」という作品で安井賞、昭和会展優秀賞を受賞したのち、画壇に大きく知られるようになる。60年代からパリ、ブラジルなど遊歴し、1971年からスペインのラマンチャ地方のパルデペーニャスという田舎の村にアトリエを構えて長期滞在している。この村での生活と制作は鴨居にとって多くのインスピレーションをもたらしたようで、「私の村の酔っ払い」など「私の村の〜」という、パルデペーニャスの村に愛着を感じる作品を多数残している。名作は色々あるが「酔って候」「出を待つ」「話を聞いておくれ」「裸婦」など。あと「1982年 私」というのはインパクトが強く、鬼気迫るものがある。あと「教会」シリーズというのがあって、静謐で好きです。
晩年は精神的な衰弱から睡眠薬とアルコールを併用したりしてたようで、あまり本などには書かれてなかったが最期はどうやら車に排ガスを引き込んで亡くなったらしい。(テレビ番組の「美の巨人」で言ってた)。1980年中頃から心臓に病を得て、一年に一回くらいのペースで入退院をしている。
<制作の一端を垣間見る>
鴨居のエッセイでは制作する事への恐怖みたいなものが綴られており、翌日アトリエに入って自分が描いたものを見る事は恐ろしい、と語っている。
ピカソの言葉を大事にしてたようで、詳しくは忘れたけど「絵画は壁掛けのインテリアではない」と言ったような言葉で、自身の絵画はただのインテリアでなく、人にある種の衝撃や感慨、心に残るものであるようにと、制作にあたっては自らを極限まで追い込み、集中して制作していたそう。
描くのは早かったらしい。一方テーマを決めるのに多くの時間をかけていたそう。
デッサンは一つのテーマにつき100枚以上制作していたという。多いのか少ないのか、分からないけど多いのかな。
エッセイを読んで思ったのは、鴨居氏は神がかりのような感じで描いていたんじゃないかということ。
どうやって描いたかいつも分からないから、自分の制作風景をビデオに撮ったらしい。見てみたい。
極限まで集中し格闘しながら、自らを追い込みながら制作をしていたんだと思う。
パステルなどの作品をみると、輪郭線だったりの線状が幾重にも重なっている。渾身、究極の形を生み出そうともがいているようにも見える。
27歳から38くらいまでは、油絵が描けなかったという。油絵は待つ必要があって、それが体質に合わず葛藤があったようです。
<思うこと>
製作時の写真で、口を半開きにあけて呻くような、何かにすがるような、悲哀に満ち満ちた表情で、鴨居がキャンバスに向かっているものがある。自画像を描いているのか、それとも他の人物画なのか分からないけど、一体何が彼にあのような苦しみというのか、絶望、諦念をもたらすのだろうか。
無常観、業とか、人間の弱さとか、気持ち悪くなるまで飲まずにはおられない、やり切れなさとか、悲哀とか、そういったものを一心に浴びて、それをキャンバスに照射して、画面から浮かび上がらせようと、もがき苦しんでいるようにみえる。
そんな苦しい思いをしながら、なぜそれでも描かずにはいられないのか、やっぱりそれは業のようなものだと思う。そんな苦しい思いする必要って別にないんだもの。それでもそうせずにはいられない、何かに突き動かされてそうせざるを得ない、というような、その業のようなものの正体はなんなのだろうか。
業というか、自分はついついそういったものに惹かれるし、そういう見方をしてしまう。そうせずにはいられない。宿命というか。
うまく言えないけど、鴨居玲の作品は鬼気迫るものがあってとても好きです。
鴨居は人間そのものに深い興味と関心があると語っており、人間の暗い部分、弱さを描くことに生涯取り組み続けた。
描くことへの極限までの集中とプレッシャーで疲弊した精神はアルコールと睡眠薬をもとめ、ついには鴨居自身をすり減らし、蝕んでしまった。
素晴らしい作品を残してくれて、そして今私たちがその作品に触れられるということに、心の底から感謝するしかない。